楽しければ、いいのかもしれない。
人生に、それ以上の意味を求めるべきではないのかもしれない。
近頃、そう思う瞬間が増えてきた。
僕はこの考え方には反対の立場をとってきた。今でも「楽しければいい」という考え方には大きな抵抗がある。
「人生には明確な意味が必要だ」
「それは疑う余地が無いほど明白なものでなくてはいけない」
ということが、30歳までの人生の指標だったように思う。しかし、それを厳格に考えれば考えるほど、毎日が陳腐になっていった。
僕は22歳から29歳までの人生を「漫画家」という肩書きを得るために費やした。それが僕にとっての「意味」であった。
はっきり言ってこの選択は失敗だったと思う。僕は、伝えたいメッセージやアイデアは無尽蔵に湧き上がってくる体質だが、作画に伴う単純作業がとても苦手なのだ。
プロットからネームまでは楽しめるのだが、下書き以降の作業はとても苦痛だった。特にトーン作業は、死ぬほど嫌いでどうしても手がつけられなかった。
世の中には、細かい単純作業を殆ど苦痛を感じることなく行うことができる人たちがいる。彼等は僕の嫌いなトーン作業を、実に楽しそうにやってのける。当然のことながら、作業を楽しめる人たちのほうが仕上げが綺麗で、正確だ。
多分、彼等はトーン作業を「単純作業」とは感じないのだろう。トーン作業の中に無限の広がりを感じる才能をもっているのだ。
そういう人たちにコンプレックスを抱きながら、単純作業に伴う苦痛を堪えに堪えて漫画を描き続け、やっと「漫画家」という肩書きを手に入れたものの、長くは続けられなかった。
楽しくないと、続かない。僕は「漫画家」の肩書きに大きな意味を感じていたが、どうしても続けられなかった。
何故かと言うと、つまらなかったからだ。
漫画製作に伴う作業の90%がつまらなかった。
現在は就職してプログラマーをやっている。
プログラミングは楽しい。設計からリリースまでの作業の80%を楽しめる。苦痛なのは検査仕様書に書かれた作業を書かれている通りに何千回と繰り返さなければいけないデバッグ作業だけで、あとは楽しい。
楽しいから続く。IT関係の仕事に「意味」は全く感じていないが、とりあえず楽しいので続けられるのである。
そう考えていくと「意味」とは一体なんだろうという疑問にたどり着く。
「人生の意味」