シルクロード 武威へ蘭州から烏鞘嶺を 越えて武威に向かうと 前回は書きました。 この武威の街も 高層の建物などは あまり有りませんが 人口100万人近い街です。 我々 日本人の感覚だと 蘭州も この武威の街も 大きい街だと思います。 そうすると 当然 街の間も ある程度は 建物などが在ると思うのが 自然ではないでしょうか? しかし 国道312号線を 西に西にと走っても 道の両側は 多くの場合 砂漠と言う感じよりは 砂礫の地面が続きます。 地図を 見ると良く分かりますが 現在のモンゴルから続く 砂漠地帯の北外れに この河西回廊があります。 この先 敦煌までは こんな荒地が続く雰囲気です。
さて 武威は 仏教東漸の歴史の中で 大きな事であった鳩摩羅什の長安入りの前 17年間過ごした 地です。 鳩摩羅什(344-413)は 現在のクチャ 当時の亀茲国から 漢族の元に 強制的に連れて来られたのです。 その途中 この 武威 当時は涼州と言われたこの地に 漢族の政変が在って 留め置かれたのです。 この先 現在のシルクロードを西に 中国国内を行くと この 民族の問題は 今も感じることが出来ます。 クチャのキジル千仏洞の 前には現在 鳩摩羅什の像が 少し悲しげに立ってます。 それは ここから 西に2000kmも先の 事です。
武威では 幾つかの観光スポットがあります。 有名なのは 前にも書いた銅奔馬が出土した 雷台漢墓です。 ここは 現在観光地になっていて 出土の場所まで行く事が出来ます。 薄暗い 傾斜した墓道を行くと墓室が在ります。
そこにあった 文物の一つが この奔馬です。 この写真は 僕がお土産で買ってきた物の 写真です。 確かに 足元にいる鳥は 燕みたいな感じもしますね。 漢族は 一日に400km走り 血の汗を流す と言ってフェルガノ産の馬を 欲しがったそうです。
武威の もう一つの 観光スポットは 文廟です。 ここでは 11世紀から13世紀に この地を支配した西夏の文字の碑を見る事が出来ます。西夏文字は 漢字を基にして出来た文字です。
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