しあわせのカケラたとえば
喉が渇いたから水を飲もうとする。
コップがないなら、手に水をためてすする。
手の中の水は多分半分くらいしか飲めず
後は指の間からこぼれ落ちていく。
当たり前か。
幸せについて考える。
たとえば
それが心を潤すものならば
手ではなく、コップにきちんと入れなきゃダメ。
手には隙間があるから
半分は落っこちてしまうから。
でもなかなか…
しっかりとしたコップは見つからない。
案外、簡単に見つける人もいるけれど
私はいつもハズレくじ。
だから一生懸命、手ですくっては心に流す。
でもようやく、それこそがまやかしだと気付く。
やっぱり何事も土台が必要。
汚い手を使おうが綺麗な手を使おうが
短時間だろうが長時間だろうが
コップを持つ人はコップを選んで土台にする。
そこにできそこないのコップはない。
私のコップはどこにあるんだろう。
たとえば
幸せなんて一夜の夢だと思うのなら
多分、幸せを逃がす自身が悪いのかもしれない。
全ては運だけでもないんじゃないかと私は思う。
コメント(0)|コメントを書く
カテゴリー一覧
最近のコメント
プロフィール
このブログを友達に教える