風歌へ風歌(ふうた)は先日幼稚園に入園したばかりの3歳児。うちの長男。
先日わが家に新たな「家族」がやってきた。わたしのいとこのヨージ。ヨージの家族の病気で、ヨージの介護者がいなくなり、こうして一時的にわが家が引き取ることになった。ヨージとは私は本当に小さい頃よく遊んだ。当時は彼の障害など気づかなかった。私の祖母の「ヨージはバカだから、かわいそう」といった言葉と、その言葉に激怒した私の母の言葉を今でも覚えている。
私も小さいなりに成長して、次第に祖母の言葉と母の言葉の意味を分かるようになった。ヨージとは一緒に遊ぶことはなくなった。遊んであげる、という意識に変わっていった。
私が11年前、まったく別の畑から福祉の世界に入ってきて、真っ先に考えたことは「いつかヨージを引き取ることになるだろう」ということ。そんなヨージが一時的にわが家に来た。
風歌にとって見たら、来客であるこのおじさん。おじさんはみんな自分にやさしく遊んでくれるはず。なのにこのおじさんだけ相手にもしてくれない。しばらく風歌は距離を取ってこのおじさんを観察していた。
トイレに入るとき、パンツまで脱ぐ。親父(私)がお尻を拭いてあげる。着替えも手伝い、ひげもそる。食べこぼしを拾う。そんな親父とこのおじさんの関係を風歌は黙って眺めていた。自分が食べこぼせば叱られるのに、このおじさんだとあまり叱られない。そんな現実を風歌はどう見ているのだろう。
次第に風歌が変わってきた。返事が返ってこなくても「ヨージおじさん、おはよう」と声をかける。得意の英語もおじさんの前では使わない。風邪をこじらせているヨージの鼻を拭こうとする。「お薬の時間だよ」と声をかけたり水を渡す。
風歌がある時こういった。「ヨージおじさんは、親父のお仕事の人たちとおんなじなんだよね。」私は答えた。「同じだよ。だからおじさんも畑で一生懸命働いてるんだ。だから親父とも同じだよ。」
風歌はそれに答えなかった。風歌のいう「おんなじ」と、私の答えの「同じ」の意味の違いを分かっているからだ。
なぜ私が違う意味の「同じ」を語ったのか、それはいつか分かってくれると思う。
風歌は日ごろから「車椅子のしんちゃんは、どうやって電車に乗るの?」と聞いてきたり、ブロックで車椅子を作り、「しんちゃんの車椅子作ったの。これ早いよ〜」と言ったり、「スティービ−ワンダーは目が見えないのになんで歌が歌えるの?」と聞いてきたりする。親父の仕事に連れ回しているので、何となく興味を持っているのだと思う。「しんちゃんの(入院している)病院は、スカイライナーとか成田エキスプレスが見えるから、また行きたいな〜」。昨日見舞いに連れてきた時に風歌が言った言葉。
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