中日ドラゴンズ優勝!涙が止まらない。中村ノリのヒーローインタビュー。
53年ぶりの日本一。しかし私がファンになってから33年。
33年前のドラゴンズの優勝については、平成16年6月のブログで触れたことがある。
http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_29cf.html
「1番高木が塁に出て~2番谷木がヒットエンドラン、3番谷沢がタイムリー、4番マーチンホームラン~」・・・あれから33年経ったんだなあ。私はまだ名古屋に住んでいて、ブログにも書いたが、町は大騒ぎだった。なんの疑いもなく、ドラゴンズファンになった。
千葉に越してきて、死んだ親父が「鈴木孝政を見に行こう」と後楽園に連れて行ってくれた。巨人・新浦と鈴木・・・と思いきや三沢の先発だった。「孝政じゃないじゃん!」私が言うと、「今度ナイターでもう一度孝政を見に行こう。速いぞ~」・・・。そんな親父も13年前に死んだ。
昭和57年の優勝は、人生の中でも一大事だった。高校受験の勉強をしながらラジオにかじりついていた。怪物江川の完封ペースを9回に大逆転したのは、大島のタイムリーと中尾(その年MVP)だった。ノートに大きく「ありがとう」と書いて泣きじゃくっていた。日本シリーズ、平野のタイムリーが1塁審判の足に当たり、本塁タッチアウト。あれで流れが変わり、最後は東尾のふてぶてしいマウンドの前に、西武の優勝を見た。
田尾が大洋長崎との首位打者争いの中で5打席連続敬遠もあった。5打席目、明らかなボール球をスウィングし抵抗を見せた田尾の姿を見て涙があふれた。
ケンモッカの引退試合、モッカが最後のサードのプレーでエラーをして苦笑いをした時、「ありがとう」と叫んで泣いていたのを覚えている。
谷沢の引退試合でのライトスタンドへのホームラン。
肩のケガからカムバックした鈴木孝政のど真ん中のスローボール(パームボール)での見事な三振。中継ぎエース堂上(堂上兄弟の父親)の連日連夜の登板。宮下がクロマティの暴行に向かっていった態度。全部が感動だった。
近藤真一の初登板ノーヒットノーランの時、篠塚に投げた最後のカーブは明らかに高めに外れたボール球だったが審判は「ストライク」。堂々とした近藤の態度に、審判の手も上がった。「強く生きよう」と思った。
昭和57年、16勝4敗で最高勝率のタイトルをとった都裕次郎のその年の
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