竹山道雄「ビルマの竪琴」

    ビルマ(ミャンマー軍事政権)といえば、竹山道雄(1903-1984)の「ビルマの竪琴」という児童文学を思い出す人が少なくないだろう。この名作は二度の映画化などで今日でも若い人が御覧になっているようだが、かなり批判的な内容が目につく。加害者責任を直視していない、戦争を感傷的にとらえ、軍国主義への反省はするが、侵略や戦争犯罪のことは忘れて、日本人の死者への鎮魂だけにとどまっている、つまり反戦文学としてなまぬるいという批判である。また昔に梅棹忠夫が指摘したことで有名であるが、要約すれば「ビルマでは長年修業を積んで僧になるので、水島上等兵は簡単に坊さんにはなれない、また戒律は厳しく歌舞音曲にたずさわることはできない、竪琴はもちろん歌うことはしない。ビルマは経済的には遅れているが、文化的には高度な文明国である。」はたしてこれらの今日的批判は正当なものであろうか。

    物語の設定上には相当の無理があるものの、文学としてみると、ケペルはやはり竹山道雄「ビルマの竪琴」は不朽の名作であると考えている。(市川崑の映画については未見なのでここでは触れない)

   竹山道雄の「ビルマの竪琴ができるまで」によると、昭和21年に雑誌「赤とんぼ」の編集長・藤田圭雄に、何か児童向きの読物を書いて欲しいと頼まれた。藤田も竹山とは同じドイツ文学出身である。

    竹山は次のような空想が頭に浮んだ。

「モデルはないけれども、示唆になった話はありました。一人の若い音楽の先生がいて、その人が率いていた隊では、隊員が心服して、弾がとんでくる中で行進するときには、兵たちが弾のとんでくる側に立って歩いて、隊長の身をかばった。いくら叱ってもやめなかった。そして、その隊が帰ってきたときには、みな元気がよかったので、出迎えた人たちが、君たちは何を食べていたのだ、とたずねた。鎌倉の女学校で音楽会があったときに、その先生がピアノのわきに座って、譜をめくる役をしていました。「あれが、その隊長さん」とおしえられて、私はひそかにふかい敬意を表しました。

    これがビルマの竪琴の原型モチーフであるという。作品とはかなり異なるであろう。一説には、戦死した教え子の中村徳郎をモデルにしたとも伝えられる。

    竹山は最初、舞台を中国の奥地にするつもりであった。ここで日本兵が合唱をしていると、敵兵もつられて合唱をはじめ、ついに戦いはなくなった、という筋を考えた。ところが、日本人と中国人とでは共通の歌がない。日本でもよく知られ外国人も知っている歌といえば、「庭の

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日本文学
2008/01/10




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