日本記録が世界記録を上回る競泳の水着問題の一つとして、先日入江選手が樹立した世界記録相当の記録が、着用していた水着が不許可(再提出扱い)となったことにより、FINAの公認を受けられなくなりそうだという報道がされています。
仕事帰りにほぼ毎日聴く、TBSラジオ「アクセス」のバトルトークのテーマとしても取り上げられていたことなどから考えて、この話題は、単に水泳関係者の知るところというより、一般の方々の興味あるテーマの一つとなっているように思われます。
この問題の、最大のポイントは、FIFAが5月中旬にもなってから、今年度の水着許可リストを掲出したことにあります。許可の基準の賛否はいろいろあるでしょうし、議論の決着を見るまでには相当の時間を要するでしょうが、「とりあえず2009年度はここまでOKということにします」という決定は、もっと早くに発表できたはずです。それを、入江選手が世界記録を樹立する後まで引き延ばし、しかも日本に不利になる採決をし、入江選手の世界記録を不意にする決定をしたのですから、俗にいう「後だしジャンケン」であったことは否めません。
まだ本決まりではありませんが、仮に入江選手の記録が世界記録として公認を受けられなかった場合であっても、日本水泳連盟は日本記録としては公認すると発表しています。つまり、世界記録よりも日本記録のほうが速いという、一見おかしな現象が生まれるのです。
では、これまでの水泳史を紐解いた場合に、今回と同様に「日本記録が世界記録を上回る」ケースがなかったかというと…、実は前例があります。
ご存知の方も多いでしょう。戦後間もない1947年の日本選手権で古橋広之進選手が400m自由形において樹立された記録が、それにあたります。当時、国際水泳連盟から除名処分を受けていた日本では、世界記録を上回る記録を樹立しても、世界の公認記録としては扱われませんでした。
では、この時代、古橋選手が樹立した「世界記録より速い日本記録」に価値がなかったかといえば、それは氏のニックネーム「フジヤマのトビウオ」からも容易に想像できるよう、それはもう、筆舌に尽くしがたいほど価値のあるものでした。
仮に、当時の連盟幹部に、「今の日本は世界から追放されていて、世界から公認を受けられないのだから、日本記録としても公認しないことにしよう」などという発想があり、それが具現化されていたならば、古橋選手が復興のシンボルとなることもなければ、その後の日本水泳の発展すらなかったかもしれません。
「世界記録を上回る日本記録を作ること」。このことが、日本の意地だったのだと思います。
話を入江選手の話題に戻します。仮に、今回の水着認可の件で、入江選手の記録がFIFA
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