桜井啓子 『シーア派 台頭するイスラーム少数派』 (中公新書)イラク戦争後の混乱が泥沼化していた2006年刊。
著者は岩波新書から『現代イラン』などの本も出している方ですが、同じ女性のイスラム研究者の酒井啓子氏と名前が妙に似てますね。
本書の構成として、冒頭から半分弱ほどがシーア派の歴史的来歴を語る部分で、残りで20世紀以降の展開が述べられている。
最初にまず現在のシーア派人口分布が載せられている。
中学以来、シーア派と言えば、「=イラン」で済んでいた。
イラクは支配層はスンナ派だが、住民の過半はシーア派だなんてことは、高坂正堯『外交感覚』を読んで初めて知った豆知識といった程度の認識だったのが、ブッシュ・ジュニアが滅茶苦茶やったお陰で広く知られる事実となってしまった。
他には、ペルシア湾岸の島国バーレーンがシーア派人口50パーセント超で、レバノン・クウェート・パキスタンも比率が高い。
さらにアゼルバイジャンが6割超と書かれているのを見て、「ええーっ」と思ってしまうが、イランと地続きで、イランからロシア支配下に編入されたことを考えると別に不思議でもないかと思い直した。
シーア派信仰におけるイランの地位は必ずしも絶対的なものではなく、アリー以下のイマームの墓廟も、サウジがメディナの一ヶ所、イランが東北辺境にあるマシュハド一ヶ所なのに対して、イラクにはバグダード南にあるカルバラ(第3代フサイン)、さらに南のナジャフ(初代アリー)、北部のカーズィマインおよびサマラと四ヶ所存在する。
また、サファヴィー朝成立時点では、イラン人の多くは依然スンナ派だったと書かれているのは新鮮。
なお、イラク南部のシーア派住民について、18世紀半ば以降のアラビア半島でのワッハーブ派運動から逃れてきた部族が集団でスンナ派から改宗したが、そうした人々も多く含まれていると書いてあったのが記憶に残った。
サファヴィー朝とオスマン朝、両国の衰退の間を縫って、バザール商人や商工集団などの支持を得て国家から相対的に独立した地位をシーア派聖職者が占めるようになり、その中から19世紀半ばマルジャア・アッ・タクリード(模擬の源泉)と呼ばれる最高権威が生まれる。
20世紀に入ると、これまでシーア派信仰の中心だったナジャフが非アラブ系の神学者や学生が増加したことにより、反って求心力を失い、スンナ派ハーシム王家の下でイラクが独立し、シーア派が国家建設から排除されたこともあって、ナジャフの地位はイランのコムに奪われる。
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