写真考察(ちょっと硬い話です)ついここ2週ほど前、新聞の投稿欄に、故人の趣味で撮り貯めた写真の話が載っていた。
遺品の整理をしていたら、大量の写真が残されていたが、家族や親しくしていた人の写っている一部を除いて、残していてもしょうがないので全部処分するしかないとの話である。処分するのも忍びないが、残された人たちにとって意義や意味のないものをとっていてもしょうがないとのことである。
私も何気に、登山/ハイキング、家の近くの風景など撮影しているが、考えてみるとあまり記録としての意味を持つものも少ないし、家族の写真も爺さん以外は皆撮られるのを嫌うので、恐らく残しておくものは殆どないと思う。 一貫性を持った記録で有れば、それが狭い意味で歴史になったりコンテンツとして社会的意味も持つのであろうが、殆ど考えずに撮り続けている。自己満足の大いなる無駄と言えなくもない。
フ゛ログはまあストップすればいずれ消え去るのであまり迷惑もかけないし、必要最小限の機材であれば自身への負担も少ないのでありきたりの趣味ですませられる。 自分に近い人にとって殆ど価値も意味もないもので、まして世間には何の意味もないものばかりである。まあ本人には、娯楽と言うか生き抜きに限りなく近い趣味でしかない。
何かその時の庶民生活(家族/学校/職場)、経済(石油/物価高騰)、文化、世相、流行、環境(地域/開発/破壊)を表したもの(あえて政治はマスコミに任せるとして)などでないとと意味づけは難しいいのだろうかと思ってしまう。
飛躍するが日本書紀を調べてみた。
卷第一 神代上(かみのよのかみのまき)
第一段、天地のはじめ及び神々の化成した話(天地開闢)
第二段、世界起源神話の続き
第三段、男女の神が八柱、神世七世(かみのよななよ)
第四段、国産みの話
第五段、国産みに次いで山川草木・月日などを産む話(神産み)
第六段、イザナギが死に、スサノオは根の国に行く前にアマテラスに会いに行く。アマテラスはスサノオと誓約し、互いに相手の持ち物から子を産む。(アマテラスとスサノオの誓約)
第七段、スサノオは乱暴をはたらき、アマテラスは天の岩戸に隠れてしまう。神々がいろいろな工夫の末アマテラスを引き出す。スサノオは罪を償った上で放たれる。(岩戸隠れ) 第八段、スサノオが出雲に降り、アシナヅチ・テナヅチに会う。スサノオがクシイナダヒメを救うためヤマタノオロチを殺し、出てきた草薙剣(くさなぎのつるぎ)をアマテラスに献上する。姫と結婚し、オオナムチを産み、スサノオは根の国に行った。
卷第二 神代下(かみのよのしも
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