私は知り得たとおりに説き示そう

ほとんどの宗教は、教祖が知り得た神秘的な知見をもとに、人々に幸せや永遠の平安を保証しています。

それら教祖が得た知見そのものは、教祖以外が得ることは不可能だとされています。
誰でも神と会話できるのであれば、皆教祖になってしまい宗教が事実上なくなってしまいます。

ところが、お釈迦様の場合は、自ら、どうやって本当の幸せを得たのか語り、真剣に取り組めば誰でも得ることができると説いているのです。

お釈迦様の体験を、誰もが追体験出来ると言うのです。

こういう教祖はお釈迦様以外あまり居ません。

そういうお経の一つを見てみましょう。
スッタニパータの一節です。


1050   師(ブッタ)は答えた、「メッタグーよ。そなたは、わたしに苦しみの生起するもとを問うた。わたしは知り得たとおりに、それをそなたに説き示そう。世の中にある種々様々な苦しみは、執著を縁として生起する。」
1051   実に知ることなくして執著をつくる人は愚鈍であり、くり返し苦しみに近づく。だから、知ることあり、苦しみの生起のもとを観じた人は、再生の素因(=執著)をつくってはならない。」
1052  「われらがあなたにおたずねしましたことを、あなたはわれらに説き明かしてくださいました。あなたに他のことをおたずねしますが、どうかそれを説いてください。どのようにしたならば、諸々の賢者は煩悩の激流、生と老衰、憂いと悲しみとを乗り越えるのでしょうか? 聖者さま。どうかそれをわたくしに説き明かしてください。あなたはこの法則をあるがままに知っておられるからです。」
1053   師が答えた、「メッタグーよ。伝承によるのではなくて、いま眼のあたり体得されるこの理法を、わたしはそなたに解いて明かすであろう。その理法を知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り越えよ。」
1054  偉大な仙人さま。わたくしはその最上の理法を受けて歓喜します。その理法を知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り越えるでしょう。」
1055   師が答えた、「メッタグーよ。上と下と横と中央とにおいて、そなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、それらに対する喜びと偏執と識別とを除き去って、変化する生存状態のうちにとどまるな。
1056   このようにして、よく気をつけ、怠ることなく行う修行者は、わがものとみなして固執したものを捨て、生や老衰や憂いや悲しみをも捨てて、この世で智者となって、苦

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2008/11/08




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