漫画の受容の形態漫画の歴史は古い。
読売新聞などで行われている漫画大賞などは、いわゆる風刺的な漫画であり、一コマで表現する作品である。
そんな漫画のコマが増え、現在のストーリーものになるのにはさして時間はかかっていない。
漫画の形態の変化と社会変化の関係性は、文学のそれとそれほど変わらない。
社会が動いてそのシステムや成員が変わることで、何を欲するか、そしてどの程度の層が大勢を成すのかで、サブカルチャーは変容する。文学は常に教育の場にあって、サブカルとは一線を画していたが、昨今その境界は微妙になりつつある。
いわゆる古くは江戸川乱歩のミステリー、現在はライトノベルを純文学と切り離そうとする動きはあるが、乱歩が現在、文学と言ってもそれほど違和感がないのを見ると、ラノベも多様化の中で評価が変わるのは予測可能なことだ。
それよりも旧来の文学というハイカルチャー的差別が、今後平準化していくことになるだろう。
その動きの中で、漫画の位置も大きく変わってきている。
漫画は文学と同じく、表現手段の一つに過ぎない。
それが長らく教育のステージにあったものと、大衆娯楽として親しまれたものの違いで、差別されていた時代が終わったのだと思う。
しかしそれは、漫画が文学に近づいたのではなく、文学の持つ前提条件(大きな世界での共通認識)が変化したことで、文学のテーマが大衆化し、漫画と変わらなくなったのではないかと思う。
その分、漫画が扱うテーマは拡がり、高い文学性を持った作品も生まれたが反面、大衆嗜好の細分化によって無数の作品が氾濫することになる。これは90年代に入ったころから顕著になってきたように思う。
週刊少年ジャンプの発行部数が、週刊少年マガジンに抜かれたとき、そのあたりが大きな時代の変化であったような気がする。
昨今の漫画とアニメの氾濫は、それだけ人々の嗜好が細分化したことを意味するが、このことが持つ性格も多用だ。
マイノリティ同士の交流はインターネットを介して、彼らを承認する。
これからの漫画は何を意識して展開していくのか?
出版社の意思を介さない、細分化した自主的出版が増えるのか、それとも出版社が変わっていくのか、それは分からない。
ただ、確実に次世代の消費の形態は変わっていくであろうし、今はその過渡期かもしれない。
そのスピードはコンピュータの発達と同じく、驚異的なスピードである。
ちょっと疲れてしまうよね・・・消費の圧力に。
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