十代のころ
十代という時代が形をもつものならばこれに炎を与えてでも地上から消し去ってしまいたいと何度思ったことだろう。中学・高校を通じ、思い出してこころ潤(うるお)うような出来事はなに一つ起こらず、生きることを愉しいと思ったことなど一度もない。
繰り言めくので明かしたくはないが、わたしはアゴラフォービアすれすれの不適応症を抱えた少年で、学校という集団社会に馴染めなかった。その孤独を癒してくれるはずの家庭は快適であったかといえば、そこには両親の不和という不可抗力があり、生存適所をどこに求めてよいのかわからないのであった。学校の授業をおもしろいとか有益であると思うこともないままに中等教育が終ってしまったことも悲しい。
活路を拓くための自助努力をしなかったことを棚にあげてすべてを境遇と生まれつきの罪とするのは精神の怠惰であり、いま思えば吹き出したくなるほどの浅慮でもあったが、ひと頃までのわたしが十代というかけがえのない時代を「痛々しい少年期」と呼んで貶め、これを過少に評価し続けたことはけっしてうそではない。
過去を振り返るときひとは神になれるという。これまでの判断の誤りを無疵の正確さで裁断できるからである。顧れば、学校の教科におもしろさや即時的な有益性を期待したのは愧じ入るべき短見であったという他ない。教師とは生徒の知的、精神的、感情的世界を広げるために叱声してまで勉学を強いる存在であり、授業の内容にそもそも速効のおもしろさを期待すべきではなかったのだ。学校は後日生徒自身に絞り込ませるためにさまざまな関心領域を提供しておくべき場所であるからだ。この点、わが母校は模範的であったと今にして思う。後のわたしがいとも軽々と人生のテーマを絞り込み、うしろを振り返ることなく己が進路をひた歩むことができたのは他ならぬ母校の教育のおかげであったのだが、そのことに気づいたのは不明にも四十歳代半ばのことである。同様に、両親のかつての不仲が一時的な倦怠期現象にすぎず深層に持続的な夫婦愛があったことを理解するまでに四半世紀
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