夢を持てるか持てないか高校2年生の1月、地元の反差別集会で僕はおよそ200人の人の前で自分の思う「教育」というものについて、意見を発表したことがありました。
題名は「教育とは」でした。
それまで教育の現場にいた経験があったわけでもなく、特にほかの人と違う特別な意見があったわけでもありません。むしろ、ただひとりの人間として、今まで生きてきた中で教育というものを考えたときに自分の中から出てきたもの、感じたものを発表しようと思ったのです。中学を卒業して、自分の中学時代も含めて、いま中学生に必要なこと、地域のオトナが子供にどう影響しているのかを、僕なりの見解で紐解いていきました。
結論から言って、オトナが輝いていない社会で、子供は輝こうとはしません。自分の好きな仕事につけず、あえいでいるオトナを見て、輝かしい自分の未来を想像できる学生はいません。この不況の中、就職できたとしても近未来的にリストラされるのかもしれないと予想してしまいそうな社会で自分らしく生きていこうとは考えられません。オトナはオトナで辛い現実と向き合う必要があるのはいうまでもありませんが、僕が言及したいのは、その飛び火が子供たちにも降りかかっているのではないかということです。
ですから僕はその集会で、「オトナが輝いていないから子供たちも輝かないんだ」ということをはっきり言う必要がありました。そのことを大勢の前で言うことは、簡単なことではありませんでした。目の前にいるすべてのオトナを否定することにつながるおそれがあったからです。
しかし、僕はそれを言わざるを得ませんでした。
なぜかというと、僕が自分の話をいちばん聞いてほしかったのは、同会場に参席していた中学生だったからです。なぜ自分や仲間の中で「勉強ができなくてもいい」「適当にやってればこれからもなんとか生きていける」という考え方が広まってもなんの危機感もないのか、それ以前に、なぜ自分の未来にもっと希望をもてないのか、積極的に語りかけることができないのか、その理由のひとつとして、地域のオトナと中学生の教育というものに関連性があるということをを知るひとつのきっかけになればいいと思ったからです。
その話をして中学生に何を考えてほしかったかというと、それは「自分の人生はまさしく自分ひとりの人生だが、その人生を形成する上で、他者とのかかわりは切っても切れない関係にあり、友だちや学校の先生だけでなく地域や社会のオトナも常に作用している」ということです。自分が未来に希望をもてないのであれば、それはまわりの誰かが「未来には希望なんてもてないよ」となんらかの形で教えた(というかその当事者が勝手に学んだ)からそう思うようになったんだと僕は考えます。もちろん、失恋したり、嫌なこ
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