「問い」が仮説できなければ、教育はおもしろくないよ。先週のある日、某国立大学の女子学生が、幼稚園見学に単身訪れました。幼稚園教諭の就活は、まず現場見学から、ということで、最近は、熱心な学生の訪問を受けます。彼女たちは、自身で幼稚園のホームページを探し、実際に園に足を運び、自らの目で教育現場を「検証」しに来ます。学校の教授の紹介を受けて受験する学生より、やはり好感を持ちます。 見学後、20分ほど学生と懇談を交わしましたが、当然ながら、パドマ幼稚園の保育についていろいろと質問を受けました。おそらくは国立大学の初等教育科では、見たことも聞いたこともない幼児教育を目の当たりにしたからでしょう。 短い時間しかなかったので、現場的な話は同席してくれた教務主管に任せ、私はこう説明しました。 「あなたも幼児教育について、国内トップクラスの学問を積んできた自覚も誇りもあるでしょう。そこから見ると、うちの幼稚園の教育は、学校で学んできたものとは異なる違和感を感じたかもしれない。でも、現場が本当におもしろいのは、学問のように正解がないところです。正解がないから、人は「問い」を持つわけだし、「問い」に向き合うために、自分の知力と経験を動員して「仮説」を組み立てるのでしょう。最初から正解が見え見えの教育より、「なぜ」「どうして」が発問される現場ほど創造的なものはないですよ。たぶん、あなたが受けてきた教育もそういうところで、本当の応用力を発揮してくれると思います」 十分な説明ができなかったので、理解してくれたかどうかは分かりません。でも、初々しい学生たちに、当園の教育の真価を伝えようとするとき、自分でも普段意識していないような見方・考え方に気づかされて、新鮮です。
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