『なんとかなる』彼と以前に話をした時は論文や大学院の試験で忙しいと言っていた。
先日、その彼と久しぶりに会い、話をした。
今は大学院には合格したが、「大学院に行く意味はあるのか、本当に大学院に行く必要があるのか」と自問自答しても答えを出せず、迷っていると言っていた。
彼の夢や目標は私は知らない。
私は彼に『なんとかなるよ』と言った。
もしかすると、彼には適当な軽いアドバイスに聞こえたかもしれない。
『なんとかなる』という言葉は、彼に本当に頑張ってほしくて出た言葉だ。
彼と同じく私がまだ学生であった頃、大学の卒業が間近になった頃でも、まだ就職活動中であり、将来の不安や悩み、そして彼と同じ様に大きな迷いを抱きながら活動していた。
そして私は、ある会社の面接のために東京に来ていた。
東京に親戚が住んでおり、就職活動で東京に行った時は何度か泊めてもらっていた。
その親戚のおじさんは目の不自由な方たちをボランティアで旅行等に連れて行く企画や引率をし、内閣総理大臣や厚生労働大臣から表彰状を贈られている。
目の不自由な方は外に出ると危険が多く、どうしても内に引きこもりやすい。
そういった方にも旅行の楽しみ、面白みを感じてもらおうと行っているおじさんの活動は尊敬する。
そのおじさんの奥さんは、目が見えない。
おばさんの思い出の中にいる僕は、小さい頃の僕の姿で止まっている。
あの頃より大きくなった体、あの頃より少しは大人になった顔、成長した姿、そして今、社会に飛び立とうとスーツを着て頑張っている姿を見せれない。
見てほしかった。
おばさんとの会話でもやはり、就職の方はどうだと聞いてくる。
私はあまり心配をかけたくないので、「大丈夫だ」「順調だ」と答えていた。
しかし、僕が悩んでいる、迷っている事が、声か何かからおばさんには察することが出来たのであろう。
僕の現状には深く追求せず、僕が語らずとも悟ったように
「今は大変だと思うけど、人生『なんとかなるんだよ』」と言った。
目が不自由というハンデを背負い、私の想像を絶する苦悩や困難を乗り越えている人がかけてくれた言葉、『なんとかなる』。
おばさんは、この言葉で、多くの大変な苦労を乗り越えているに違いない。
ハンデを背負っている人が言うこの言葉はどんなアドバイスよりも心強い
実際に、目が不自由でもなんとかなっているのだろう。
この言葉は
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