◎ドローイング『次は20,002から』季刊磁場19号 1979年8月掲載発行


 三嶋典東さんとの合作素描。国文社の『磁場』は当時の硬派雑誌だ。編集長は田村雅之さん。目次を見ると、吉本隆明さんをはじめ桶谷秀昭さん菅谷規矩雄さん中桐雅夫さん松本健一さん、詩人鮎川信夫さんもいる。永瀬清子さんは随筆『仲町貞子さんのこと』を連載している。この明治生まれの仲町貞子さんの貴重な作品集成(小説、随筆、雑記)は91年11月に砂子屋書房から全集として発行された。ぼくが装幀者として関わったがこの本の話はまた別稿にしたい。
 さて、合作ドローイングのことだが、1万から2万まで数字だけを連続して描き続けるというこの恐るべき作業は、その年の初夏の一日を利用して三嶋さんの西船橋のレールサイドスタジオで行なわれた。前年の『次は10,001から』の続編だった。前作もそうだったが、午後から始めて次の日の朝方まで(食事時間を抜くと)14時間をぶっ通しで作業したことになる。終盤はもうふらふらだったが若かったせいもあって眼や手はしっかり機能したものだった。最終的に、剣術でいえばぼくが[上段の構え]、三嶋さんが[下段の構え]にレイアウトされている。
 これには最初約束事があり「不可抗力を除き、飛ばさないで確実に1から10,000までの数字を描こう」ということであった。前作のこの取り決めはその日も有効だった。恐るべき作業と云ったのはインク壺とさしペンを使ってちいさな数字を水彩紙に描き続けること、その単調さが描き手の精神や身体に想像以上のプレッシャーを強いるということだった。ぼくらはこの神経衰弱のような作業に捉えられ熱中していたといえるが、終始三嶋さんのリードによってそれは見事に「結実、達成」されたのだった。作業中、山口百恵の歌やジャズ音楽などがスタジオに流された。広いスタジオのまん中に大型の丸テーブルが在り二人向きあっての作業。今から思うと新鮮で劇的な連続花火のような時間だった。

(1/4) 次»

文化・芸術
2008/12/17




カテゴリー一覧
最近のコメント

このブログを友達に教える

コミュニティ | 有名人・芸能人ブログ | ケータイ占い | ケータイ小説 | 掲示板


画面TOP↑


powered by cocolog