June.13.2009「伝説の画家長谷川利行(その2)」
June.13.2009「伝説の画家長谷川利行(その2)」
今日の詩::アジサイの 日ごとに変わる 色浄し
35歳の時、利行は東京へ居を移した。関東大震災の後であったが、復興する東京には全国から夢を追い求めて若者が集まってきた。その人口は爆発的に増加していた。利行がやって来たのは一大繁華街になっていた浅草だった。華やかな東京の風景の虜になった利行は街にキャンバスを持ち出した。利行の或る友人の証言によると、利行の様子は周囲の人々を驚かせたという。利行は店にやって来たかと思うと、下描きもせず、その場でいきなり絵の具を塗り始め、うめき声を上げながら嵐のような勢いで絵筆を走らせていた。誰も見たことがない型破りな早描きだった。わずか数時間で利行はその場で絵を完成させたのである。
1927年「酒売場」を描いている。そこは浅草一の人気をほこる洋風酒場だった。大音量の音楽が流れる中でごった返す人々。そこには活気があった。厚塗りの荒々しい筆使いでうねるように描かれている。店内に飛び交う鮮やかな色彩があった。パレットを用いず絵の具をそのままキャンバスに塗りつけていた。利行はすばやい筆さばきと色彩の響き合いで、大都会東京の喧噪と熱気を表現したのだ。
利行の絵は、マチスなどの絵にも通じると画壇の新人賞を受賞した。1927年(36歳)二科展・樗牛賞を受賞した。しかし、この受賞が大きな波紋を呼んだのだった。『あんなもの子どもの悪戯描きだ!』『粗野な仕事だ!』『ひどく混乱している!』『汚らしい絵だ』『これは芸術ではない』などのヤジが飛んだ。画壇の保守派たちによる猛反発と様々な批判が飛び交った。行き場のない怒りをぶつけるように利行は描き続けた。しかし、作品は落選を繰り返した。
(時代の潮流に乗らない画風は落選することが多いと言われている。天才の絵は後世に認められることもある。その時代に認められる絵はその時代で終わる危険性もあるのではないだろうか)
悔しさと疎外感がこみ上げてきて、足は自然と人気のない路地へと向かっていた。そこである
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