いつも子供のように泣いたり、笑ったり、怒ったり。
そんなわたしでも、色々な出来事をくぐりぬけてきた中で、心が凪ぐこつのようなものを覚えた。
それは、自分で選んでいる、という感覚をもつ事。

今自分が抱える感情が、誰かのせいや何かのせいで生まれた、と思うことはある意味とても身軽。
その出来事の全てを、私自ら動かすことができなかった、という理由に委ねることができる。
でも同時に、自分はその事柄に対してとても無力な存在となり、行き場のない想いはその場に留まってしまう。

いくつかの割り切れない過去や現在に向かい合った時、気がついた。
とてつもなく大きな波にさらわれそうな時も、自分の心は必ず何かしらの選択肢を持っている。
酷く受け入れがたいことではあるけれど、既に起きてしまった事ですら、その後に自分が選んできた感情の積み重ねで見え方が変わってくる。
その事に気づくと、全ての出来事への責任が、受け取り手であるわたし自身にのしかかった。
その代わり、後々にどんな想いを残すことも自分次第となる自由を、みつけた気がした。

今この瞬間も、わたしは選んでいる。
何かに傷ついていると感じることも。
誰かに愛されていると感じることも。
今が心忙しく、そのくせ幸せであることも。
何かを持ち続ける事も、その代わりに何かを捨てることも、自分が選んでいる。
そうして、どんな大きな出来事もいつか、古い友人を想う様にあたたかく想えることを知っている。

根っからの瞬間湯沸かし器なわたしは、今日も泣いたり笑ったり周りをはらはらさせるのだと思う。
感情を心の内に納めきれず、黙っていてもどこかで丸見えになるわたし。
そんなわたしを見守る友人達の気持ちを思うと、本当に申し訳なく思う。
けれども、そうやって大騒ぎしているうちに、きちんと自分自身で凪ぎの日を迎えるから。
またか、仕方がないなあ、と適当に受け流しながら、信じて任せて欲しい。

2009/01/14




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