言わずして存在を、


「ティファニーで朝食を」

ティファニーのまえでコーヒーと、パンをかじる。


冒頭のワンシーン。

大人のお客さまがいっていた。

「オードリーの写真を、部屋に飾ってしまうような女性になってはダメよ!」


ジンクスだそうだ。

あこがれる十代のころとはちがう、
大人の女性のあり方をしっかりと再認識する作業のように、DVDは鑑賞した先週。


〜〜〜〜〜〜

ある事は、
そのように思う事が、正常な人としての思考でもあるのでしょう。

あるファンタジーの物語を自由意思ももたずして、繰り返すことにはうっすらと油膜のはってしまう自身は、その内にみうごきは出来なくなる恐怖を予感する。


ティファニィーで朝食を、だってそうだ。


原作と、映画ではラストはちがってくる。

映画では、心をひらいた彼女の物語はハッピーエンドにつながった。


大人の奥底へと、なかなか見せることのない部分は、さらにややこしく美しく傷つかない場所へと。
幻想の物語は、脳と指先のタッチからしか生まれる事はないのだろうか。


現実に実在する。


言わずして存在のリアル、
胸にはプリントを抱いた。

若者は、実にシャープに柔らかく意見をのべる。

大人は、仕事をするうえでそんな感情をかかえてはセツナテキな果実を、
水中へとダイブし、又日常へとむきあう。

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2009/07/08




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