善と悪

 

いじめを苦に、小学生や中学生が

自らの命を絶つという、

痛ましい事件が後を絶ちません。

 

これは、いじめた側について言えば、

(そこにどういう原因があったにせよ)

最終的には「死んで逃れたい」というところまで

相手を追い詰めてしまった、ということです。

その罪は、いくら償ったところで

償えるようなものではありません。

 

ただ、彼らが、本当に相手を

死に追い詰めたいとまで思っていたかと言えば、

おそらく、そうではないでしょう。

いじめた相手の死によって初めて、

相手が受けていたダメージの大きさに気付く、

という場合が殆どだと思います。

 

そして、それを敢えて別の視点で言い換えるなら、

いじめた相手に対して、

反省したり、謝罪したり、関係を修復したりする機会を、

相手の死によって一方的に奪われてしまった、

ということでもあると思うのです。

 

 

話は少し逸れますが、

前に中田英寿が自身のHP上で引退を発表したとき、

それまで彼に否定的だったマスコミが

こぞって彼の決断や生き様を称えるようになり、

共にワールドカップを戦った他のチームメートたちについては、

そんな中田の期待に応えることができなかった、

一様に力不足であった、とする記述が多くなりました。

彼が「引退」という最終的な決断を先に下したことで、

中田が善、それ以外が悪というレッテルが

くっきりと貼られてしまったのです。

 

このことと、自殺の話が同じだなどと言う気は

毛頭ありません。

ただ、死というものがそれと似た性質を

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2006/11/05




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